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    エコひいきの賜物

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    どうも

    持田です

    最近、父方のおばあちゃんが亡くなりました

    夜、黒島の宿でゴロゴロしている時に、母から訃報があり、翌日に黒島→石垣島→東京→札幌へと大移動しました😅

    (黒島と北海道の気温差がエグすぎて泣きそうでしたが…)

    亡くなったおばあちゃんはわたしにとって大きな存在でした

    わたしは4人兄弟の1番上です

    年子であまり構ってもらえなかったわたしの唯一の理解者はおばあちゃんでした

    家族の愚痴を唯一言える人でした

    兄弟喧嘩でどんなに下の子が悪くても、いくら自分の潔白を証明しても

    「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」

    の一言で片付けられてしまう

    お姉ちゃんなんだから、優しくて当たり前で通ってしまう

    親を責めることは出来ませんが、

    結構残酷ですよね

    子どもの頃、心底思ってました

    おばあちゃんは年に1,2回新潟から遊びに来てくれたのですが、その時は全面的にわたしの味方をしてくれました

    みーちゃんは悪くないもんね

    おばあちゃんも5人兄弟の1番上だったから

    みーちゃんの気持ちすごくよくわかるよ

    わたしが良くないことしても、味方でいてくれるおばあちゃんのエコひいきっぷりにとても救われていたと過去を振り返って気づきました

    遊びに来た時、おばあちゃんは大丸にあるチョコレートパフェを必ず食べさせてくれました

    チョコレートパフェ=おばあちゃん

    の認識が出来上がってしまったので、チョコレートパフェを見かけるとおばあちゃんの顔が思い浮かびます(笑)

    1人でおばあちゃんの家に行ったり、電話をしたり、ハガキを送り合ったり…

    本当に仲良くしてもらっていました

    おばあちゃんが来るとここぞとばかりに独占して可愛がってもらっていたのを他の家族がどう思っていたのかはわかりません

    おばあちゃんは認知症になることをとても恐れていました

    認知症初期で「通帳盗んだのはお前だろ!」と怒鳴られ叩かれ、あんまりな現実にショックで大泣きしたこともありました

    当時のわたしは高校3年生になる前でした

    ですが、歳月が経つにつれて他の家族のことは忘れても、わたしのことは最後の方まで覚えていてくれました

    唯一覚えてくれているのがわたしだったんです

    忘れたくて忘れているわけじゃないし、忘れる記憶は選べないけど、最後までそのエコひいきっぷりは本当に嬉しかった

    大学進学や社会人へとわたしの環境も変わるにつれてこの10年間で顔を見ることもどんどん減っていました

    そして、おばあちゃんはもう長くはないことをだいぶ前から覚悟していたので、訃報を聞いてやっぱりな…来る時日が来てしまったなぁくらいにしか思っていませんでした

    10年以上、母親に介護してもらって看取ってもらって、みんなに大切にされてよかったなって

    おばあちゃんの遺体は自宅で引き取られていて、帰ってすぐに会うことが出来ました

    穏やかな表情で今にも起き上がってそうな雰囲気がありました

    「本当に死んでるのかな?」

    おばあちゃんの顔に触れた瞬間、ブワーッと涙が溢れてきました

    わたしは全然悲しいモードではなかったのですが、カラダは泣いているみたいな不思議な状態になったのです

    おばあちゃんが亡くなったことを実感したのかもしれません

    わたしのカラダはおばあちゃんをちゃんと覚えていて、それを思い出させてくれているようでした

    これだけは間違いないのは、ただただ感謝の気持ちばかりであること

    おばあちゃんとの思い出を振り返ると楽しかった思い出ばかり

    こんな感情をたくさんくれた人でした(ドリカムw)

    おばあちゃんの存在がなければ、わたしはもっとさみしい人間になっていたり、こじれていたり、グレていたかもしれません

    エコひいきってネガティヴな意味で使われることが多いかもしれませんが、わたしはそれにすごく救われました

    おばあちゃん本当にありがとう

    ゆっくり休んでね

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