父親にNLPの先生になりたいという話をした時、
父「N▽!%?なんだそれ!」
わたし「NLP!」
父「あ?●▽%?なんだそれ!」
わたし「だ、か、ら、N、L、Pだって」
父「??…お前変な宗教入ったんじゃないだろうな?」
なんでそうなるんだよ…
わたしの両親はすぐに自分が知らないものは怪しい、宗教だと決めつけるクセがあります
昔、母親に瞑想の話をしたときも「そんな怪しいものやらないで」という始末🤦
でもそういう気持ちもわからなくはないのです
わたしの元カレは元々占い師でした
付き合ってた時は別の仕事をやっていたのですが、超スピリチュアル人間だったんです
彼があまり現実が見えていないように感じることも多々ありました
わたしは彼のそういう部分を気持ち悪いと思いながら一緒にいました
彼のスピリチュアルの世界を理解してほしいという気持ちを無視していました
宗教や未知の世界ににハマってしまうと現実が見えなくなって今まで通りに生きていけなくなってしまうという
親の恐れの観念(ビリーフ)を受け継いでいました
今でこそ、その観念はそこまで強くはありませんが、バシャールの言葉が好きになり、そこを追いかけていくとスピリチュアルが好きになっている自分に気がつきました
彼の本棚にあった本を今のわたしが買って読んでいるのです
ですが、
今まで採用してきた観念を手放そうとすると今まで大切にしてきたスピリチュアルが苦手なわたしを失ってしまうという恐れが新たに生まれます
これらの恐れが本当の願望やワクワクを見つける妨げになっているのです
スピリチュアルが苦手なわたしで得ているものは何か?
☀︎現実を見ることができるわたし
☀︎周りから見てまともに見えるわたし
☀︎見えないものを信じることで自分を見失わないこと
☀︎見えないものを信じないことで傷つかないこと
1つの観念にとらわれず、観念の抽象度を上げ下げしながら物事を捉えていきたいところです(得意になりたい!)
(これで勉強中)
知らない世界に向かっているのはこわい
自分のビリーフを変化させるのもこわい
だけど
その勇気がわたしの人生を彩りのあるものにしてくれるんだって信じてます
固執しなければ、抵抗はなくなります
No insistence, no resistance.