いつも読んでくださってありがとうございます♡
持田です
親に夜職をすることを隠しながら、色んなお店の体験入店をしていました
なぜ隠していたかというと親ががっかりすることや反対されることがわかっていたからです
また、久しぶりの実家暮らしで思っていたよりも干渉されないので、言わなくても大丈夫だろうと考えていました
しかし、なんの説明もなく遅い時間帯に帰ってくることが増えたことで、親は説明してほしいと話しかけてきました
最近帰ってくるの遅いけどなんの仕事しているの?
色々やってる
ちゃんと内容教えて
まだ決まっていなくてその都度違うんだ
じゃあ前回は何をしたの?
スナックの手伝い
そんなことしないで
なんで?
危ないし、夜の仕事はダメ。昼に働いて
そんなことないよ、北海道の昼は時給低すぎて無理だよ
心配するから辞めて
その気持ちはわかるけど、心配されてるから辞めるという選択肢はない。やりたくてやってる
そんなのがやりたいことなわけないでしょ
選ぶ理由があるから
家に住んでるんだからこっちのルールに従って
…(これはまずい)
こんな会話が繰り広げられました
事情を説明していないので、理解を得られないのは当たり前なのですが…😓
なぜこんな現実になっているのでしょうか
ご存知の方も多いと思いますが、『鏡の法則』というものがあります
「相手の態度や反応は自分の態度や気持ちを映し出したものである」
というシンプルな法則です
親は
①心配をかけるようなことはしてはいけない
②夜のお仕事なんかやるもんじゃない
③郷に入ったら郷に従え
という心配や価値観の押し付けをしてきたわけです
ということは、鏡の法則に従えば、わたしも誰かに、何かにそういったことをしている可能性があるということです
わたしは考えました
薄々気づいてはいたのですが、そもそも自分にその心配や価値感を押し付けていました
①心配をかけるようなことはしてはいけない
(親にとって安心感のある娘でいなければならない・本当はこわいと心配している)
②夜のお仕事なんかやるもんじゃない
(偏見の眼差しで見られるようなことはやるもんじゃない・心の底から本当にやりたいことじゃない)
③郷に入ったら郷に従え
(コソコソ夜中に家に帰るのが後ろ目たい)
色んなビリーフ(観念)にがんじがらめになっているわたしですが、そのビリーフは本当に必要なものではないと頭ではわかってはいるのです
だから、ここに来てあなたは夜のお仕事に対してこれだけのビリーフを持っているんですよという確認の現実が現れたのではないかと思っています
もしくは、自分の信じている無意識の意見が、親を通して自分に言ってきたとも捉えることもできます
かつてない自分にワクワクしつつも、それ以上にたくさんの恐れも同時に抱えていたからです
でも、この恐れはなかったことにはしたくないのです
荒治療と思われるかもしれませんが、この不要なビリーフを消す1番手っ取り早い方法は
自分が信じている逆、もしくは違うビリーフを採用してみるということです
①心配をかけるようなことはしてはいけない
→親に心配かけてもいい、安心したいと思っている
②夜のお仕事なんかやるもんじゃない
→偏見の眼差しで見られても大丈夫、やるもんじゃないと思っているからこそやってみる
③郷に入ったら郷に従え
→わたしこそがルールや!
親の言いたいことはわかる気がするし、理想の娘でありたいと思っている自分もいます
でも挑戦することの面白さを知らなかった昔の自分には戻りたいとは思えないのです
側から見てちゃんとしてそうなのに、本心は何も満たされていない自分には戻りたくないのです
※親には事情を伝える必要があると感じたので、この後、説明して許可をもらいました…
大事なのは、親の喜ぶ自分でいることで喜ばせるよりも、幸せを感じて生きている姿を見せることだと思います
あなたは親にどんな自分を見せていますか?
その観念がどんなにもっともらしく見えたとしても、それは必ずしも真実ではなくて、ひとつの仮定にすぎない